2009年12月8日火曜日

ギャラリー余韻

弥彦の社家様式 旧 鈴木権宮司 邸





建物の歴史
1802年(享和2年) 現在の弥彦神社・宮司官舎付近に鈴木嘉内宅として
             建築。
1878年(明治11年) 明治天皇北陸巡幸時に岩倉具視右大臣が宿泊。
1882年(明治15年) 鈴木彦雄宅の醤油蔵の2階で弥彦の明訓校が発足。
             その後、現在の私立明訓高等学校に引き継がれる。
1884年(明治17年) 出雲大社管長 千家尊福が宿泊。
1912年(明治45年) 弥彦大火 鈴木邸はまぬがれる。
             現在の地、弥彦大字弥彦字スワノ木に移築される。

明治天皇北陸御巡幸
 明治天皇は維新後間もなく、1872年(明治5年)より国内巡幸を行われた。 目的は、民情を視察し新しい政府の適否を探り、あわせて天皇統治権の浸透をはかるためといわれている。
 北陸東海方面の御巡幸 1878年(明治11年) 8月30日~11月9日
9月15日弥彦にご宿泊。旧祠官五十嵐盛厚氏宅の奥庭に御宿が新築された。(現在の行在所)御巡幸の一行は、岩倉具視以下文武高官370余名、供奉員825名、新聞記者6名、写真師2名、薬業4名、洗濯屋14名、さらに県から県令警部・巡査等がお供し、他に人夫1509名が参加した。


明訓高等学校との関係
1882年(明治15年) 大橋一蔵先生により鈴木彦雄宅の醤油蔵を校舎とした
             弥彦明訓校が発足。
1883年(明治16年) 弥彦競輪場の北西に移転、西蒲中学校を合併し県立中学
             となる。
1888年(明治21年) 県立廃止となり、改めて私立明訓校として存続したが、
             1825年(明治28年)廃校。
1942年(昭和17年) 新潟の地に明訓中学として再起。現在の明訓高校に
             受け継がれる。



蔵ギャラリー



3 件のコメント:

  1. こんにちは、会田です。先日はまたまたお邪魔させて頂きまして、ありがとうございました。
    鷲沢も帰りは上機嫌で日本海側沿いを走りながら昔のことを思い出しながら無事に帰宅しました。
    先生も二度の手術のわりにはお元気そうでなによりです。それと奥様も大事にしてあげてくださいね。
    ランチの方は大変おしゃれで久々にビストロって感じのお料理をいただきごちそうさまでした。
    7月25日は余韻に鷲沢と二人でおじゃまいたします。適当に見繕っていきます、よろしくお願い致します。夕方行けばいいっすかね?近くになりましたらまたお電話いたします。
    7月17、18、19日は群馬の旅館でアルバイトをして来ます。それでは失礼致します。

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  2. あっスイマセン!
    会田です、余韻宣伝してますよ、「あいひゃん」ブログを見て下さーい!
    ヨロシク。

    http://ameblo.jp/bo7tann8/

    です。

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  3. パワースポット 弥彦で行う
    気功断食会のチラシができました。

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